日本物理教育学会北海道支部設立33年史(1969-2002)

北海道大学大学院工学研究科
(前北海道支部長) 吉田 静男

1.設立の経緯と活動の概要

北海道支部設立は1969年に北海道大学工学部池田郁雄教授を代表とする物理教育研究班によって提案された。北海道の各方面の教育研究に対する正当な評価や、距離的に極め広い北海道各地に広がる教育者に共通な意見交換の場とするのが目的であった。同研究班は同年4月15日に設立準備世話人会を発足させ、同年6月5日には設立発起人会(委員長池田郁雄氏以下49名)と名を改め、大塚明郎日本物理教育学会会長に北海道支部設立の要望書を提出した。6月25日には待望の支部の発会式を迎え、初代支部長には北海道大学理学部の林正一教授が選出された。以来、33年を迎える

定例の年活動は総会、2回の支部研究会が開催され、最近の話題を中心にした招待講演、会員による原著講演、シンポジウム、北海道ぶつりサークルなどによる実験デモンストレーションなどが行われている。また、1971年より会員の情報交換、研究成果発表の場として支部会誌「物理教育研究」を年1回発行している。1995年札幌で開催された「青少年のための科学の祭典」は、着実に北海道に根をおろし、2002年現在、北海道各地(羽幌、函館、札幌、帯広、室蘭、釧路、北見)で地方実行委員会が組織され、開催するイベントに成長した。また、2000年に科研費事業として始められた「—公開シンポジウムー青少年のための創造科学実験」も、中学、高校、大学の先生がたにより企画運営されている。中高生、一般市民を対象に、身近な理科実験体験、大学等の協力により普段あまり体験出来ない最新科学の公開実験、特別講演などにより、理科学振興に着実な成果を上げている。また、応用物理学会との共催として、中学、高校の先生を対象にした「リフレッシュ理科教室」を開催し、最新の科学実験やハイテク装置に直接触れることができる機会となっている。

このように支部が活発に運営された理由は、支部の支柱である理事各人に物理教育に対する強い情熱と自信があったことによると考えられる。歴代の支部長は勿論のこととして、諸橋清一北海道教育大学教授、斎藤孝(元副支部長)、辺見龍夫の存在は大きなものがあった。今では、そのほとんど全ての方々が現役を退かれているが、吉田静男(前支部長、北大工学部)、中野善明(現副支部長、小樽薬科大)、山田大隆(前事務局長)、鶴岡森昭(評議員)をはじめとする理事各位がその意思を引継ぎ、支部を発展させてきたことによるところが大きい。北海道支部では更なる発展を期待して2001年度から小野寺彰支部長、横関直幸事務局長とする新たな体制を発足させ今日に至っている。

2.支部規約

(略)

3.支部会員数の推移

支部会員数の推移

4.年表

1969.6.25支部発会式(13:00於北海道拓殖銀行ホール):併行行事PSSC教育フィルム試写
初代支部長に林 正一、副支部長に清水 清、池田郁雄選出される。

設立発起人の名簿

秋山敏弘(理科教育センター)飯坂名範(教大付属函中)飯田紀子(札幌北斗高)
池田郁雄(北大工)、副支部長池田 元(函館商業高)池田 修(札工高)
伊良原国雄(札啓成高)大井哲哉(室清水高)大塚喜弘(北大工)
小野寺昌二(北大工)柏村正和(北大工)勝木喜一郎(室工大)
梶川正弘(北大理学生)川辺哲雄(函館東高)川井信夫(札工高)
橿棒光一(釧江南高)木村有道(札啓成高)北村 剛(浦幌高)
小林希謙(美国高)小宮英太郎(教大札幌)斎藤 孝(札北高)
佐伯象一(室工大)貞広嘉和(函高専)柴田 昭(幕別高)
陣内 信(札啓成高)清水清(教大函館)、副支部長那須喜久男(札南高)
仙石利彦(教大付属函小)相馬純吉(北大工)武部清治(理科教育センター)
辻 信哉(函工高)寺沢 修(小清水高)中島春雄(北大理)
中野善明(北大工)那須常正(藤女大)奈良英夫(理科教育センター)
西田 登(札医大)林 正一(北大理)、支部長 福島久雄(北大工)
辺見龍夫(札南高)三好康雄(北見工大)諸橋清一(教大旭)
八鍬 功(北大工)矢代和祐(函高専)山崎玄二(標津高)
勇田敏夫(北大工)吉田静男(北大工)吉田光徳(木古内高)
* 支部設立時は時間の関係で発起人の中に会員番号を取得できなかった方々が多かった。北海道での会員数の拡大にあたっては地域性を考え、一部に本部会員でない支部会員の存在が認められ、現在に至っている。
1969.6.2映画会(於札幌北海道新聞ホール)
1970.1.11〜1.14ナフィールド物理北海道セミナー(於北海道理科教育センター、講師:吉本 市、原島 鮮、林 正一)
1970. 2.8 映画会(於札幌)
1970. 2.10映画会(於室蘭)
1970. 2.11映画会(於釧路)
1970. 2.12映画会(於釧路)
1970. 2.15映画会(於帯広)
1970. 2.20映画会(於函館)
1970.5.27第1回支部研究会(ナフィールド物理セミナー報告と今後のセミナーナのあり方、新指導要領について)
1970.5.27第1回支部総会
*一般会計の総額は本部からの20,000円と広告代金の15,000円からなる35,000円であった。支部設立に要した費用は別途寄付金によって、また、ナフィールド物理セミナーに要した費用は参加者の会費で賄われた。
1971. 4.5第2回支部総会(北大教養部)
1971. 6.30会誌「物理教育研究」No.1発行
1971. 10.3物理教育学会全国大会(物理学会との共催)(北大教養部)
1972.4.6第3回支部総会(第一生命ビル)
1972. 7.15第1回支部研究会(発表件数6件、近藤正夫教授出席
1973. 3.29第4回支部総会(第一生命ビル)
*総会は以後毎年開催されているので記述を省略する。
1973. 7.21第1回研究会(発表件数5件)、11.24 第2回研究会(発表件数6件)
1974. 3会誌「物理教育研究」No.2発行(200部)
1974. 5.18第5回支部総会(北大工学部)
1974. 8.10第1回研究会(発表件数3件,映画会)、11.24 第2回研究会(発表件数3件、研究協議)
*以後1977年までは年2回の研究会が開催されている。
1975.3会誌「物理教育研究」No.3発行(200部)
* 会誌「物理教育研究」は以後毎年発行されているので記述を省略する。
1979. 5.12第2代支部長として相馬純吉、副支部長として佐伯象一、秋山敏弘選出される。
1983. 5.21第3代支部長として秋山敏弘、副支部長として中島春雄選出される。
1984.8. 支部の研究会の案内などを会員にしらせる新たな手段として「支部通信」No1が発行された。No2は11月に発行された。
1984.12.8支部研究会(この年から年一回に縮小された。) 
1985.6.第4代支部長として中島春雄、副支部長として奈良英夫、勝木喜一郎選出される。この年から研究会の発表概要集が作成されるようになった。
1987. 8.22〜8.23第4回物理教育研究大会(於北大法学部)、大会委員長 奈良英夫、招待講演P.J.Black教授(通訳北村正直理事)、原著講演15件、講演11件、座談会「今後の物理教育の展望」、参加者数77名
1987. 9.12支部組織を総務、企画、編集理事会に分け、支部の発展を期した。企画部は教育へのコンピュータ利用研究班、実験(教材)開発研究班、大学入試問題検討班、物理と社会研究班(後にカリキュラム検討班に変更)の4班構成とした。
1989. 9.23副支部長として勝木に代わり斎藤 孝選出される。支部設立20周年記念大会(吉本 市会長出席)、林正一、諸橋清一、吉田静男に支部功績賞が授与される。」
1992. 7.第5代支部長として奈良英夫、副支部長として斎藤 孝、吉田静男選出される。
1996.11.24第6代支部長として吉田静男、副支部長として斎藤 孝、中野善明選出される。
1997. 7.副支部長として斎藤 孝に代わり永田敏夫選出される。
1999. 8第10回物理教育研究大会(於北大法学部)、大会委員長 吉田静男支部長、招待講演 北大理学部 羽部朝男。
2001. 7.第7代支部長として小野寺 彰、副支部長として中野善明、永田敏夫選出される。

5. 最後に

日本物理教育学会50周年記念大会直前の本年8月4日、初代支部長であった林正一北海道大学名誉教授が逝去された。同氏は、戦後黎明期にあった固体分光学が専門で、主たるテーマは「絶縁体・半導体に見られる光吸収線の原因とそのエネルギー移動」である。1950年、戦後の苦しい研究条件下、この分野で中心的役割を果たしていた亜酸化銅結晶の育成に成功し、低温(液体空気温度)での光吸収スペクトルに水素原子類似スペクトル線系列のあることを世界に先駆けて発見した。この励起子スペクトルの可能性は1930年代にフレンケル、パイエルス、ワニヤーらによって理論的に予言されたが、林は現実に固体中で水素原子のバルマー系列のような吸収線系列の観測に成功し、高く評価された。また、前述のように日本物理教育学会北海道支部の発足に尽力し、昭和44年同支部発足以来約10年に渡って支部長として多数の高校理科担当者の資質の向上に貢献されると共に、同学会評議員を務めるなど、物理教育の発展に尽くされた。ここに、同氏のご冥福を祈るものです。

Last updated 03.May.2016   Copyright © 2002-2022 日本物理教育学会北海道支部. all rights reserved.